- 2015.01.28 Wednesday
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土地のお世話から、設計・監理までを当社で行うための現地調査に行ってきました。
県道に面していて交通の便はよさそう。
ご近所も少し偵察
暑かったのでかなりバテバテ
それにあま市甚目寺ですが、名古屋駅まで車で15分で行けてしまう。
名古屋市名東区よりよっぽど近いから便利よさそう。
売り出しは 6月18・19日(土・日)です。
ぜひ、お立ち寄り下さい。 ★・★
飛騨地方は名古屋より1カ月ほど季節が遅れてて
高山市街の桜はライトアップ
GW頃は
まだまだ満開
まだまだ肌寒い
飛騨散策の旅
高山の朝市ふらふら
漬物やらなんやらやたらおいしい
お土産いっぱい
白川郷天気わるい
観光地なんですね 人いっぱい
屋根の向きが全て東西だそうです
陽が屋根に当るように
南北方向の風を避けるようにと
確かに上から見たらみんな同じ方向いてた
確かにすごい風だった
屋内には昔ながらのがいっぱい
床から下階が覗けたり
【長瀬邸】
合掌造りはいい味がする
後に突然の豪雨 雷 さらには氷の塊まで............帰ろ
なにがあるかなんてわかんない
次はどこにいこうかな
【性海寺見学】は、
なにかと忙しくまだ行けていない。
子どもの用事に追われ・・・。
子どもも小学生ともなると、とても忙しい。
今日は、家庭訪問があり職場を一時離れ、
我が家へ帰宅。
先生にいいことを 言われ、わが子を誉め、
事務所へ仕事復帰。
久しぶりに広告を作成しました。
【建築家と創る家】
また、お近くの方はごらんください。 ★・★
明日からゴールデンウィーク
当社の休みは、カレンダー通りなので間に出社しないといけない日があります
長期休暇をとり海外などへ行く人をニュースで見ながら、友人とお茶をしたりしてます。
とはいえ、普段よりは余分に休みがあるので、
職場の近くにある、多宝塔を見学に行く予定
【性海寺】というところ。
このあたりでは、あじさい祭りで有名。
まだ、あじさいには早いので新緑をあじわいに・・・ 行ってきます ^-^/////
★・★
去年、【平城遷都1300年祭】が開催されている奈良県へ行ってきました。いろいろ調べてみると催し物がたくさんあり、今までの町おこしなどの祭りごととはまったく違うスタイルで開催していました。
結局、去年は4度、奈良のいろいろな場所に行き国宝を見、重要文化財にふれ、ボランティアガイドの方の説明を聞き充実した旅ができたと思います。
そんな中でも印象的な場所は【今井町】
奈良県の南に位置する小さな城下町。
今井町の誕生や歴史はいろいろなホームページを参照してもらうとして。
今井町が城寒都市である証拠の門。
昔の町は水路で囲われていて水路の中にある町との行き来のための門が何箇所か設置されていた。
その当時は、夜には閉鎖されるので酔っ払って帰宅してきた人はよく入れなかったらしい。
いろいろな城下町を散策してきましたが、町屋の町としての範囲が広い!
水路をはさんだ学校の塀にも景観をそこねない意匠がほどこされています。
【豊田家】重要文化材
もともとは木材商を営んでいた豪商『西の木屋』
今なおここに住んでいる方と話をしました。現在は2階にお住まいとか。
窓が南面の壁には一箇所しかなく、光は屋根の現在では天窓と言われる部分から取り入れている。
【建物外観】
厚いしっくい壁。屋根は重厚な本瓦葺。
【内部の天井】
現代の高さでいうと、3階建ての高さほどもある吹抜部分。
天井部分の【にわ梁組】
昔は、ここの釜で食事の準備をしたそう。釜がいくつもあり一人で番ができるように釜がアーチに設計されている。
【六間取り】和室が6つ田の時に配置してある様子
今井町の町屋の典型的な和室の間取り。写真は【おくのなかのま】の様子
外観にある【家号】
建物の右と左の家号の表現の仕方が違うんです。
【今西家住宅】重要文化材
西側外観
今西家の家号を左右で変えている。
今西家では右に川の字の定紋。左には菱形3段の旗印。
今西家では内部写真は厳禁でしたのでぜひ観覧をしていただきたい。
その当時、惣年寄筆頭を勤めていたということもあり、土間といわれる部分でお裁きをし、裁く側は【なかのま】から見下ろす。他の民家よりもやはり【なかのま】の床が高くなっいて、【みせ】といわれる道路側の部屋は一段低くなっている。当時のまま、裁かれる人が待機する場所があったりする。
遠山の金さんのように裁いていたのかな。
今井町の門の絵が今井町の城下町に入る道の石に描かれている。
【室生寺】
日本で二番目に小さい五重塔
長い石畳をあがるとやっとみえてきた。
全景 美しい
情緒ある風景
一番上の相輪は九輪の上に宝瓶を載せている。
良い旅ができました。 ★・★
3,11の日
地震が起きた。愛知県はさほど揺れなかったが、親戚一同の家が宮城県にあり震度6強の地域だった。
連絡もつかずこちらでおたおたするばかり。
やっと連絡がついたのは夜中の2時頃。しかも、いとこが大阪におり、そのいとこが、メールでやっと連絡がついたと知らせが入った。
命は無事なこと。電気ガス水道がとまってるので非難していること。
そのことだけを確認しそれからまた、一週間連絡が途絶えた。
それから連絡が途絶えたのは、携帯電話しか通信手段がなく、その携帯電話の充電が電気がないのでできなかったと・・・。
電気がないとなにも出来ないのを思い知らされますね。
ニュースで被災地にカップラーメンを送っている映像が流れると、どうやって作るのかと思いながら、テレビを見てましたが、送られる方もどうやって食べるのかと思うでしょうね。
親戚の中には家が崩れ、半壊状態だそう。
でも、今やっと自分の自宅に戻り後片付けを始めたところだそうです。
少し前までは、物資がないというときに物を送っても辿りつかないから、
こういうときに何も出来ないなんて腹立たしい思いをしていましたが、
戻る家が残っていただけ幸せでした。
身近な人が被災をし、初めて地震の恐ろしさとこういうときに何が必要なのかを思い知りました。
今までは、避難袋なるものを玄関に置いてあるだけでしたが、自分が被災したときに本当に必要なものをしっかり考え準備しないといけないと思いました。
本当に助かってよかった。
今度、宮城に遊びに行けるのはいつになるだろう・・・。 ★・★